無気力絵描き通信

ゆ〜ほのブログです。

かぐや姫の物語 ー キャッチコピーの罪と罰には何重ものメッセージがあると思うんじゃが

こんにちわ、ゆ〜ほです。

金曜ロードショーで初めてかぐや姫の物語を見たので、感想と主観的な妄想などを書きたいと思います。

 

※本当に主観で考えてるだけの妄想的考察&感想なので悪しからず。

※ネタバレ含みます。

 

一般に言われてる罪と罰について

一般的な考察でいうと、もともと月の天人だったかぐや姫が、地球での生活に憧れてしまったことが罪、そして地球に降ろされたことが罰。と言ってる方が多いかと思います。

月にはお釈迦様がいたし、仏教的に解脱した先の世界、みたいなイメージなんでしょうか。

この世の喜怒哀楽など世俗の生活や人間の感情の動きに惑わされず、輪廻転生の輪から抜け出すことが解脱、ってよく聞きます。

仏教的な世界観で、生きることが苦しみ、という解釈を元に、生きること(地球で生活すること)=罰で、それに憧れることが罪。

その証拠に最後の方で天女みたいな人が月の服をきて月に帰ればそんな汚らわしい感情に惑わされずにすみますよ〜的なことを言ってました。

しかし僕はこれが第一層の解釈だと思っています。

 

本当にそれがメッセージ?

月は昔から太陽に対して死のイメージや象徴として使われることがおおいみたいです。

最後のシーンとか完全に、主人公がおじいちゃんだったら、「おお、、そろそろ迎えが来た様じゃ・・・」とか言いそうなくらい天国に行く感じだったので、月=死世界として考えてもいいんじゃないでしょうか。

 

月に帰るということは「何もかも忘れて喜怒哀楽もなく永遠の時を彷徨う」ことなので、もうそれって死ぬってことですよね。

普通の人にとってこの世に生を受けること=かぐや姫にとっては地球に来ること

普通の人にとって死ぬこと=かぐや姫にとって月に帰ること

って考えると、ある意味かぐや姫は普通の人となんら変わらない様にも思えます。

 

そこでテーマ「罪と罰」をもう一度考えて見ます。

え、まって、、じゃあ「生きることって罰だよ!生にしがみつくのは罪だよ!」っていうのがメッセージなの・・・?

 

全部偽物!のシーン

石上中納言のが燕の子安貝取ろうとして落ちて死んじゃったことを聞いた後、大切にしていた屋敷の中の庭をぐちゃぐちゃにして、「こんなもん全部偽物!!わたしも偽物!!ふんす!!」と言ってかぐや姫が荒ぶるシーンがあります。

あそこの「偽物」ってなんでしょう。じゃあ本物ってなんだろう。

そう思った時、あの庭が偽物であれば本物はもちろん昔住んでいた山かと思います。

 

都に移り住んでから、かぐや姫は父のため、周りの人たちのために全てを諦めて考えることをやめて自分の気持ちを偽って周りの望む様な人間として生きてきました。

その反面自分を保つために偽物の故郷を作り、その状況に耐えていました。

しかしその偽物の自分でいることについに限界がきてしまい、月に帰りたい=死にたいと思ってしまったのかとおもいます。

 

偽物であっても耐えることができたのは、それが望まれていることであり、そのおかげで周りの人々が幸せになれば、自分の本当の気持ちなどどうでもいい、という考えからでした。

しかし彼女の気持ちとは裏腹に、彼女が周りの期待だけに答えようとした結果(?)、彼女の周りの人々は不幸になったのでした。

 

いろんな罪と罰

自分を偽っていたことが罪、その結果の不幸が罰。

結論からいうとではないかと僕は勝手に妄想しています。 

というか僕はこういう風に受け取っています。

 

その罪と罰を踏まえ、ただ周りの言葉にノーと言えないだけだった彼女は、自分の気持ちをはっきりと伝える様になります。

「あんなアゴ野郎と結婚するくらいなら死んでやるわい」って言うし、月に帰ることがわかってからは余命を告げられた人が余生をできるだけ自分の心に正直にやりたいことをやるかの様に、山に帰ってみたり、不倫してみたり、自分の心にまっすぐに向き合う様になります。

 

他にも、一番最初の「罪と罰」の"裏側"を見ると、自分を偽った結果「月に帰りたい=死にたい」と思ってしまったことが罪、そして月に帰ることが罰、とも考えられます

 

高畑監督のメッセージ

かぐや姫が突然月に帰らなくては行けなくなってしまった様に、僕たちもいつ死んでもおかしくない、明日突然月の迎えが来るかもわからない、という点ではかぐや姫となんら変わらないと思います。

 

ナマケモノの子孫、パクさんこと高畑監督はとにかく作品主義というか、良い作品を作ることに対して決して折れない方です。

どんなに納期が遅れようとも周りになんと言われても自分の目的である「良い作品を作ること」を貫き通す方でした。

かぐや姫の物語もそのやりかたのせいで途中で「これだと完成まで20年かかる計算じゃん!」ってなったとかw(結局人を増やしてなんとかしたそうです)

 

そんな高畑監督の性格を考えると、監督はこの作品を通して僕に「君もいつ月に帰らされるかわかんないんだから、偽物にならず今を精一杯、自分の心に正直に生きなさいよ」って言ってくれてるんじゃないかって勝手に思っております。

 

風立ちぬのキャッチコピーは「生きねば。」でしたが、かぐや姫の物語もある意味「生きねば。」がテーマの作品だなぁと思います。

 

考察&感想は以上です。

見た後の勢いで書いたのであんまりちゃんとまとまってないし駄文ですが最後まで読んでくださった方はありがとうございました。

とりあえずなんでこれ劇場に見に行かなかったんだ自分・・・

 

 

読まなくていい独りごとタイム

ここからは独り言として気に留めず読まずに飛ばして欲しいんですが、僕の経験上、月に帰りたい(死にたい)と思ったり、実際に自分の死を目の当たりに、近くに感じることでやっと「やっぱり自分は生きたい」と思ったり、生きることの本当の素晴らしさに気付けたりしました。

月に帰ること、死ぬことに比べたら、生きている間の喜怒哀楽、辛かったり苦しかったりする気持ちも、「穢れたもの」ではなくて、なんか全部大切なもので愛しいものだな〜と日々思いながら生きてます。

そしてどうせ死ぬなら、月に帰って記憶がなくなってしまうなら、生きてる間くらいは誰かのためじゃなく、自分の気持ちをできるだけ貫いて生きたいです。

僕の理想の生き方は俺は俺の好きな様にするからお前はお前の好きな様にやれ、ぶつかったら戦おう。です。